2015年11月01日

太閤(背割)下水

下水の事を勉強したので、
ついでに太閤(背割)下水にも寄って
みました!

太閤(背割)下水.jpg

豊臣秀吉による大坂城築城の際に原型が
造られたと言われている石積の下水溝です。

豊臣秀吉が大坂城築城に着手し、町づくり
をするにあたり、大阪が淀川・大和川の
デルタ地帯にできた低湿な土地であった
ので、道路整備と同時に町屋から出る下水
を排水するための下水溝が建設されました。

東西の横堀川に囲まれた城下町は、大坂城
に向かう東西道を軸に碁盤の目に区切られ、
その道路に面した建物の背中どうしのところ
(裏口)に下水溝が掘られました。この下水
溝は「背割下水」、あるいは太閤秀吉に
ちなんで「太閤下水」と呼ばれています。
当時の大阪は、この太閤(背割)下水
挟まれた約40間(72m)四方の区画が町割り
の基本となっていました。

そして現在でも、実際に使用されている
太閤(背割)下水を地上に設置した覗き
窓から覗けるのです。
覗き窓.jpg

暗くて写真では見にくいですが・・・。
暗いですね・・・.jpg

地下施設の見学を希望される方は、
(一財)都市技術センター
(電話:06-4963-2092)
に事前に申込めば出来るそうです!
今度、見学してみようかな〜。

太閤(背割)下水
住所:大阪市中央区農人橋1-3-3
posted by tome at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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