ついでに太閤(背割)下水にも寄って
みました!

豊臣秀吉による大坂城築城の際に原型が
造られたと言われている石積の下水溝です。
豊臣秀吉が大坂城築城に着手し、町づくり
をするにあたり、大阪が淀川・大和川の
デルタ地帯にできた低湿な土地であった
ので、道路整備と同時に町屋から出る下水
を排水するための下水溝が建設されました。
東西の横堀川に囲まれた城下町は、大坂城
に向かう東西道を軸に碁盤の目に区切られ、
その道路に面した建物の背中どうしのところ
(裏口)に下水溝が掘られました。この下水
溝は「背割下水」、あるいは太閤秀吉に
ちなんで「太閤下水」と呼ばれています。
当時の大阪は、この太閤(背割)下水に
挟まれた約40間(72m)四方の区画が町割り
の基本となっていました。
そして現在でも、実際に使用されている
太閤(背割)下水を地上に設置した覗き
窓から覗けるのです。

暗くて写真では見にくいですが・・・。

地下施設の見学を希望される方は、
(一財)都市技術センター
(電話:06-4963-2092)
に事前に申込めば出来るそうです!
今度、見学してみようかな〜。
太閤(背割)下水
住所:大阪市中央区農人橋1-3-3